2009年04月18日

結論が同意できる内容なら論理はどうでもいいわけが無い。

【眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!(赤木智弘氏)
ワープアにはタバコも子供も金持ちの嗜好品に見えるかも。(有村氏)
 赤木氏の主張には根本的な問題があって、それは結論だけまともで、中身の議論は前提の間違いと詭弁(定義のすり替え)だらけであることです。

 前提が間違っている論理にまともな結論は導き出されない。それを無理やり小奇麗な結論に落ち着かせて、賛同を得ようとしている。
 私に言わせりゃあんな詭弁がまかり通るのは有害です。結論さえ良ければレトリックはどんなに破綻していても構わない、というのは余りに危険な議論の展開の仕方だと思います。

 赤木氏の言う「寛容な社会を望む」というのは私も同意見ですが、それを主張するために釣り、煽りと詭弁を使ってる限り、その主張の形態は「極端な嫌煙家」のそれと変わらない。

 結論に賛同できれば、その論旨の展開も同意できるものとして自分の考えを変更してしまうのは、非常に危険な行為だと私は思います。そうして歪められた論理の上に、間違った結論を持ってこられたときに反論する事ができなくなるからです。


 ところで、この喫煙所全廃の動きと言うのは、極端な嫌煙派による行為であり、「分煙でいいじゃん」と思っている嫌煙派にとっては迷惑な行為です。(吸う場所がどこにも無くなったら、結局禁煙区域のどこかで吸わざるをえず、喫煙者と非喫煙者の共存関係が破綻する。)
 その一方で「禁煙ファシズム」を唱え、大学構内の禁煙地区で喫煙し、注意した教授を罵倒したことを自慢するようなDQN講師のような極端な喫煙派もいるわけで、こういう人達の存在は、周りに気を使って喫煙している「大人の喫煙者」にとっては、喫煙者の評判を貶める迷惑な存在なわけです。

 そこに赤木氏が「共存」を主張するのに不誠実な議論を以って煽りを入れている。
 これでは私のような「分煙でいいじゃん」派がタバコと子供を同列に扱うような人でなしみたいに見られてしまうじゃないですか!(被害妄想)実に迷惑です。

 ……じゃなくて、中庸な意見を言うのに極論を使ってどうするんですかと。「分煙の議論もいかがわしい」なんて評判でも立ったら、この問題の落としどころは、ラグランジュポイントを探すくらい面倒な事になっちゃうじゃないですか。


 どの辺に間違いと詭弁があるか、以下に列挙します。

もちろん、それは税金に決まっているのだけれども、彼らは「喫煙という個人の趣味を税金で負担するべきではない」のだという。
   <中略>
私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自らの幸福を追求するためにタバコを吸う行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。

(1)喫煙=趣味である。
(2)子育て=自らの幸福を追及する行為である。
(3)趣味は自らの幸福を追及する行為である。
(4)ゆえに喫煙と子育ては同じである。
という一見もっともな論理なんですが、
(1)趣味ではなく中毒である。
(2)子育ての価値を個人の幸福の追求と言う点のみに矮小化している。

  間違った前提からは正しく結論を導けません。
 (1)は明らかな間違いであり、喫煙と子育てを同列に扱うという(4)の結論も間違っています。
また、子育ては幸福の追求のみではありませんよね。人間社会全域に渡る直接的な発展、あるいは幸福の追及という側面もあります。
タバコは基本的に個人の幸福の追求のみ、社会性で言うなら生産農家やJTなどごく一部に限られる。
 まあ、同列に扱うのは無理ってもんです。

「子供を育てる行為は、子供を育てない人に迷惑をかけていない」と思うかもしれないが、家族を守ることが絶対善であるという社会通念によって、単身者がいかに不利益を受けているかを考えれば(それこそ、「就職氷河期問題」というのは、「家族を養う父親」のクビを切らないために、単身者である若者の雇用を大幅に控えたことから発生した問題である。)、煙なんかよりもはるかに迷惑な存在なのである。
 これは間違い探しのほうが簡単かな。
タバコの問題を「迷惑」に矮小化
雇用問題のメカニズムの説明は、間違いとは言わないが、正しくない。
早期退職制度と言うのをこの人は知らないのだろうか。

 まあ、「単身者の不利益」というのも言いがかりなんで。定量性の無い主張なんで同レベルで反論するなら、パラサイトシングルとか、ニートという利益は誰によってもたらされたのか。
それでも私が、学校の全面閉鎖などを求めないのは、たとえ迷惑であっても、それを互いに我慢していくことによって、始めてみんなが幸せな社会が実現すると考えているからである。
 なんで恩着せがましいんだ? ってのは私の勝手な解釈なので置いとく。

 赤木氏は先にこう記している。
私は児童公園や市立の保育園や幼稚園、小中学校の全面閉鎖を求めたい。なぜなら、子供を持たない私が、子育てという個人の趣味を、税金を通して負担してやる理由はないからだ。
 と述べている以上、この人は学校というのが個人の趣味を満たす為に設置されていると考えているわけである。他の解釈のしようが無い。
 まずこれが大きな間違いである事は明白なわけです。学校は社会利益の為に設置されている。
 更に言うと、「子育て」と「教育」は別のものであるにもかかわらず、これを同じであると強弁している。すなわち「定義のすり替え」という詭弁を用いている。
 定義をすりかえている時点で、この人の言う「学校」は「学校」ではないのだが、その一般的な定義である所の「学校」を閉鎖せよ、という。ここで定義を再度すりかえている。


 なお、ここでは「詭弁」という言葉を用いましたが、実は赤木氏は簡単な問題をわざわざ小難しく説明しようとして無意識にこんなめちゃくちゃな事を書いてしまったのかもしれない。この場合、「詭弁」というよりも「誤謬」と呼ぶのが正しいらしい。(Wikipediaによる)

 いずれにせよ、赤木氏の記事は取り上げるのもバカバカしい代物です。はてなブックマークで注目されていて、斜め読みしてブクマする価値も無いとスルーしていたのですが、結論だけ見てあれを評価する人もちらほら見受けられるので思わず書いちまいました。

 何より、その的外れで下手くそな比喩のために真意をまともに伝える事ができない、悲惨な結果を招いている。論壇の文章書きとしては致命的な失敗と言えるのではないでしょうか。あれは擁護する価値は無いと思います。叩いてもっとまともな文章を書けるように仕向ける方がいいと思います。

 まあなんだ、ブコメで本文読まずに罵倒している人もいるけど、本文読まないのは、結果的に正解だと思う。熟読しても読む価値無いし、下らないタイトル釣りをした赤木氏もこれで「本文を読まれないタイトル」ってリスクに気付くだろうし。

 僕としては久々に「奇妙な議論」の分析作業ができて良かったかなと。直感的にだめな文章は、やっぱどっかがおかしいんだわ。
posted by 海風 at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月06日

著作権法改正に関する質問趣意書と答弁書(民主:川内博史議員)

 著作権法の改正に関し、第171回国会、衆議院にて民主党の川内議員と質問趣意書と、それに対する麻生総理大臣の答弁書が公開された。
 公開資料ではそれぞれ別に記載されており分かりにくいため、質問と答弁を以下にまとめる。なお、この資料は衆議院の質問答弁経過情報の、質問趣意書本文答弁書本文をコピー&ペースト及び改行の追加によりなるべく読みやすくしたものである。


川内
今国会に提出された著作権法の一部を改正する法律案(平成二十一年三月十日閣法第五十四号。以下「法案」という。)の内容について、第百六十八回国会において提出した質問主意書(質問第二一六号。以下「先の質問」という。)及び答弁書(内閣衆質一六八第二一六号。以下「先の答弁」という。)を踏まえ、先の質問における指摘が本法案において十分に反映されているとは評価し難いとの認識に基づき、以下質問する。

 一 法案第三十条第一項第三号の新設条項における「著作権を侵害する自動公衆送信(国外で行われる自動公衆送信であつて、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものを含む。)を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、その事実を知りながら行う場合」(以下「本項規定」という。)について質問する。

 1) 本項規定には、専ら映画の著作物につき我が国よりも著作権の保護期間が短く、かつ文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約第七条第八項を根拠とする相互主義を採用している国において自動公衆送信されている昭和二十九年(西暦千九百五十四年)から三十四年(西暦千九百五十九年)に公開された映画を我が国において視聴する目的でダウンロードする行為は含まれるのか。
 また、この場合において法案第四十七条の八の「当該複製物の使用が著作権を侵害しない場合」が成立し得る事例は想定しているのか。

 2) 本項規定には、アメリカ合衆国著作権法第百七条におけるフェアユース規定(権利者の利益を不当に害しない公正な利用であれば、許諾なしに著作物の利用ができるとするもの)に基づき当該国の法律上は合法的にアップロードされ、自動公衆送信されている著作物を我が国において視聴する目的でダウンロードする行為は含まれるのか。

麻生
 お尋ねの「自動公衆送信されている昭和二十九年(西暦千九百五十四年)から三十四年(西暦千九百五十九年)に公開された映画を我が国において視聴する目的でダウンロードする行為」及び「自動公衆送信されている著作物を我が国において視聴する目的でダウンロードする行為」については、当該自動公衆送信が国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものであり、かつ、その事実を知りながら当該自動公衆送信を受信してデジタル方式の録音又は録画を行う場合には、今国会に提出している著作権法の一部を改正する法律案(以下「法案」という。)における著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)第三十条第一項第三号に該当する。

 また、1)の後段のお尋ねの趣旨が必ずしも明らかでないが、当該録音又は録画が、当該視聴のための電子計算機による情報処理の過程において、当該情報処理を円滑かつ効率的に行うために必要と認められる限度で当該電子計算機の記録媒体に行われるものである場合には、法案における著作権法第四十七条の八の規定により、当該録音又は録画については、複製権は及ばない。


川内
 3) 先の答弁では「適法サイトに関する情報の提供について運用上の工夫が必要であること」を文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会の報告書に記載したと述べているが、本項規定は先の質問において指摘した「一般国民がインターネットにアクセスする行為に対して常に、かつ高確率で損害賠償を負うリスクを生じさせる結果となる」危険性を一方的に増大させる恐れが大きいと評せざるを得ないものと思料される。
 このような規定を創設すること自体、諸外国の著作権法におけるフェアユース規定の否定に直結するものであり、このことは我が国の知的財産戦略本部においても提言されている将来的なフェアユース規定の創設を著しく妨げる要因と成り得るのではないか。

麻生
 文化庁としては、法案における著作権法第三十条第一項第三号の規定は、「デジタル・ネット時代における知財制度の在り方について(報告)」(平成二十年十一月二十七日知的財産戦略本部デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会)における「権利制限の一般規定(日本版フェアユース規定)の導入」に関する提言を踏まえた所要の規定を創設するかどうかに関する検討に直接影響するものとは考えていない。


川内
 二 法案第四十七条の八の規定について質問する。
 1) 先の質問において「仮に現行の著作権法でキャッシュが『複製』と解釈されても権利制限を加えるべきではないとする」文化審議会事務局(以下「事務局」という。)の見解につき「見解に基づく条文が法律に明記されなければ意味を為さないのではないか」と指摘したところであるが、本条項を追加しなければキャッシュが外形的に「複製」とみなされ、違法と成り得る恐れが生じた為に創設するのか。

麻生
 法案における著作権法第四十七条の八の規定は、平成二十一年一月の文化審議会著作権分科会報告書(以下「報告書」という。)における「機器利用時・通信過程における蓄積等の取扱いについて」の検討を踏まえ、電子計算機において著作物を利用する場合に当該電子計算機による情報処理の過程で行われる著作物の蓄積に関し、複製権が及ばない範囲を明確にするために創設するものである。


川内
 2) 一般に、インターネットを閲覧する際に使用されるブラウザと呼ばれるソフトウェアは特定のフォルダにキャッシュを蓄積する構造となっているが、違法複製物のキャッシュがフォルダに収納されている時点では本条項の規定により合法と解される場合、キャッシュをフォルダから内蔵記憶装置の他の領域(自動公衆送信状態に置かないことを前提とする。以下同じ。)や、外部記憶装置に移動する場合、本条項の規定は適用されるのか。

麻生
 お尋ねの「移動する場合」の趣旨が必ずしも明らかでないが、法案における著作権法第四十七条の八の規定の適用を受けて作成されたキャッシュを用いて当該キャッシュに係る著作物を新たに複製する場合における当該複製行為については、同条の規定により複製権が制限されるものではない。


川内
 三 先の質問において、本法案が成立・施行された場合に便乗して振り込め詐欺やワンクリック詐欺、恐喝行為等が増大する恐れについて指摘したところ、先の答弁では「御指摘のような被害が生じないよう、仮に同項の規定の適用除外の範囲を拡大する場合には、当該制度改正の内容について広く国民への周知を図ることが重要であると考えている」とされているが、現時点で具体的に「御指摘のような被害が生じないよう」どのような対策を実施する予定であるのか。
 何ら予定が無い場合、係る犯罪の発生が当然に予見し得る政策を平成十九年秋に実施された意見募集で示された多くの一般国民の反対を押し切って強行する以上、無責任との謗りを免れ得ないものと思料されるが、その点につき政府の見解を問う。

麻生
 文化庁としては、法案が成立した場合には、インターネット、広報誌その他の媒体の活用、「著作権セミナー」その他の講習会や研修会の開催等を通じた広報啓発活動を行うとともに、関係団体による広報啓発活動を支援することにより、改正の内容について広く国民への周知に努めてまいりたいと考えている。


川内
 四 平成二十年度まで文化審議会著作権分科会(以下「分科会」という。)に設置されていた私的録音録画小委員会の後継組織について質問する。
 1) 事務局が私的録音録画補償金における「利害関係者」と認定している立場の者は、どのような立場の者であるのか、全ての列挙を求める。

麻生
 お尋ねの「利害関係者」の趣旨が必ずしも明らかでないが、報告書においては、私的録音録画補償金制度の見直しに関する関係者として、「例えば権利者、メーカー、消費者など」と記載されている。


川内
 2) 報道によると、当該組織は非公開の私的懇談会として設置されるとのことであるが、このような形態で設置する理由は何か。
 分科会はその閉鎖性ないし情報開示に対する消極的姿勢が平成十六年の国会審議において批判に晒され、同年度より公開を原則として来た経緯があるものと承知しているが、当該組織の設置形態はこうした経緯に真っ向から反するものではないのか。

 3) 当該組織の構成員の選定基準については分科会委員や私的録音録画小委員会の専門委員に準じているのか。
 特に当該組織の議事が非公開とされていることにつき、事務局の意向に沿った「利害関係者」が優先的に集められると共に私的録音録画小委員会において事務局の議事進行に批判的な立場の委員または専門委員を排除し、事務局の求める結論に沿った形で議事を円滑に進める意図に基づき非公開とするのではないかとの批判が一部で生じているが、その点につき政府の見解を問う。

麻生
 お尋ねの「私的録音録画小委員会の後継組織」の趣旨が必ずしも明らかでないが、報告書に記載された「関係者が忌憚のない意見交換ができる場」を設けることに関しては、現在検討中である。
 また、文化庁としては、私的録音録画補償金制度の見直しに関する検討を行うに際して、御指摘のような「事務局の求める結論に沿った形で議事を円滑に進める意図に基づき非公開とする」との意図は有していない。


関連リンク:川内議員ブログ記事1記事2
文部科学省:著作権法の一部を改正する法律案
posted by 海風 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月17日

2007.01.21 著者が言いたいこと

異文化交流議論

幸福なフォーラム

僕は文章を書く時、できるだけ抽象的な言葉を使いたくない、と思っている。なぜなら読む人によって感じ方が大きく異なる抽象的な言葉は誤解を生むことが多いと思っていたから。でも。そうじゃないかもな。

具体的に言え


相手の思考方法まで考えにいれないと著者の意図を理解することは大変なのだ。しかし、相手の思考方法を理解するなんて簡単ではないし、少なくとも一つの文章からは理解できるわけがない。何より理解するだけの気概が必要である。

オレはシャイダン

文章から何を読み取るのか。人が文章を読んで初めに思うことは
「自分は気に入られている。」
或いは
「自分は嫌われている。」
このどちらかなんじゃないか。でも、その気持ちは
瞬く間に脳内知識が付加され、加工され、名付けられ、
フィルターをかけられ、「感想」や「意見」として言葉
に出てくる。

加工の手法として

ジャンルは何か?
著者の意図は?
気に入った人物は?
客観的に見てどうか?
優しくする
厳しくする
などいろいろある。

初めに「嫌われている」と判断した時、文章の読み取りミスの可能性を考え、もう一度読み返す、或いはわからない点を調べる。人によっては「嫌われている」の判断で使えない加工手法が増えるのだろう。僕は「加工しない」という選択をよくするが。

著者の意図が何であれ、
「行間を読め。」
このようなアドバイスをする人間は無責任である。
行間に著者の意図などあるわけがない。あったとし
たらそれは著者の怠慢である。


「文章を大切にしろ。」
はつまり
「自分を大切にしろ。」
というメッセージなのだ。

表現を生業としていない僕が著作権を主張することは
おこがましいのかもしれん。
ただ、「自分を大切にしろ」と言うのは自然なことだ。



やや。あまりにも当たり前のことを書いたかもしれん。





Comment


chargeup
リンクしていただいた文章がどう受け取られているのかドキドキです。
このみつくるさんの記事は、トンコさんのブログで起こったことともリンクしますね。私がそう感じたというだけですが。
2007/01/21 Sun 13:05

みつくる
トンコさんのブログにリンクします?
僕はわたりとりさんのブログに対応してるように見えるかなぁ〜と思っていたのですが。

そうですよね。なんじゃこりゃー??って言われたら恐いです(笑)
2007/01/21 Sun 14:22


うみかぜ
 文章を読んだ瞬間に、「自分は好まれているか否か」を判断するのは、多くの場合、「行間を読んでいる」のではないかと思います。即ち、文体、使用されている単語、それまでの相手との関係を、ほぼ同時に処理して判断しているのではないかと。
 その後、より丁寧に読み返すことは、この「行間」による判断を排除することに使われている。と、このように私は思います。

 これは私が文章を読む際の行動パターンですが、他の方はどうなんでしょうね。
2007/01/21 Sun 18:30


みつくる
うみかぜさん

>私が文章を読む際の行動パターン
あちゃ。文章の読み方も違うことに
思い至りませんでした。
他の方がどう読んでるか確かに気になります。
2007/01/21 Sun 20:05


みつくる
僕の分析は変な思想が混じっちゃってますね(笑)
2007/01/21 Sun 21:58


わたりとり
記事タイトル「著者が言いたいこと」だし、みつくるさんの言いたいことを読み取ろうとしてたら迷子になりました。ということで、思いついたことをずらずらと書いてもいいっスか?(すんません)

文章をパッと見て、著者の感情というか、文章を書こうとした動機を掴もうとするクセが私にはあります〜。無用に深読みしすぎることもあります^^;
「動機」は文章に明快に書かれていることもあるし、行間に潜んでいる(全体の構成・言葉の選びかたなどから浮かんでくる)こともある。文章と行間が違う顔を持っている文章もありますね。ねじれている、というか。意識的にそう書いてるな、という文章もあるしね。

私は自分の楽しみで行間を読むけど、読み手に「行間を読め」とは言わないです。それは、みつくるさんが仰るように、著者の怠慢だと思う(←ダブルスタンダードだ!(笑)

「オレはシャイダン」は、特定個人のブログ歴史ををモデルケースとしたけれども、もっと広く一般化して「現象を風刺したい」と思って書きました。みつくるさんが前記事で「風刺」の解説を参照してくださったでしょ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%88%BA
>巧妙かつ反語的であり、無表情(デッドパン)な調子を多分に帯びる。
これで、ピンときたんです。反語的であり、無表情である表現には、読み手の立ち位置を問う力があるのだな、とね。

>「文章を大切にしろ。」
>はつまり
>「自分を大切にしろ。」
>というメッセージなのだ。

うん。私もそう思う。
だから、「文章を大切に」と掲げながら自分や他人を傷つけてはばからない行動に出たときが、【魚のアタマ】化した瞬間なのだと思います。
2007/01/21 Sun 22:54


みつくる
>読み手の立ち位置を問う力があるのだな、とね。

すごい!!そんなタネがあったなんて。
そこまで考えてなかったです。かっこいいなぁ。シャイダンの文章は見事に成功しましたね!!!

今回は随筆調で文章を書いているので割と怠慢な著者になりました。(笑)

目的は冒頭に書いた「異文化交流議論」の一環のつもりだったのですが、みなさんそうとは捉えなかったみたいです。ちゃあじこさんが中間報告に入れていないので不思議だなと思ってました。

僕が言いたかったことは
>「文章を大切にしろ。」
>はつまり
>「自分を大切にしろ。」
>というメッセージなのだ。
ここなんです。

2007/01/21 Sun 23:39


chargeup
はっ、全然そう思いませんでした。失礼しました。
なぜだろう。ちゃんと異文化交流議論の文字入っているし、関係記事が複数リンクされているのに。
トンコさんの記事につなげたのがいけなかったか。
2007/01/22 Mon 18:55


みつくる
ちゃあじこさん
あ、ありがとうございます(笑)
>なぜだろう。
きっとこの問いに対する答えが議論の進む方向を示すのです。(←えらそうに)
2007/01/22 Mon 19:22


トンコ
わたりとりさんの「シャイダン」は、おそらくわたしのOYAJIさん批判の記事も念頭に置いていると思っているので、ちゃあじ子さんと同じように感じました。主に集団間の接触を意識した異文化交流議論は、刺激的であるけどやや外在的な話題です。これから、自己を切開する痛みを伴った議論に展開する予感が(ちょびっと)します。各自の「魚のアタマ」の正体を探るのは、うーん。。。怖いかな??
2007/01/22 Mon 21:26


みつくる
トンコさん
あ、いらっしゃった。ども。

>主に集団間の接触を意識した異文化交流議論は、刺激的であるけどやや外在的な話題です。
実は僕が異文化交流議論として書くときは集団間ではなく個と個の関係で捉えています。
うみかぜさんのネット住民分類学での分類も個として考えています。僕の頭では集団のグラディエントを考慮できないので(笑)

>自己を切開する痛みを伴った議論に展開する予感が(ちょびっと)します。

できれば僕もそっちには行きたくないです〜。僕の魚のアタマはなんやろ?もしかしたらすでに見当をつけられているかもしれん(笑)
2007/01/22 Mon 22:03
posted by 海風 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 異文化byみつくる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007.01.11 優しさとなれあい

わたりとりさん-異文化交流分科会-【魚のアタマ】考(1)

優しさは形がない


自分の記事にリンクすることもあまりない僕です。

いやあのーこの記事の関連でちょっと思ったことが。
てかわからなくなってきた。

受け手がありがたくなくてもありがとうと言うのは優しさだと

送信側がよかれと思ってやったことだけど、
受信側はありがた迷惑だなーと思っている場合に。
受信側が迷惑だというそぶりを見せず、喜んで礼を言う。
受信側が喜んでるのを見た送信側はとてもご満悦。
受信側の行為は優しさなんでしょうか。
あれれ?受け手が送り手だー!!

優しさカウンターだ!!

勝手に驚いてるわけです。

いや、でもこれってなれあいとか社交辞令じゃねーの??
と思うわけですよ。
いやいやこりゃあれですよ。解析解が出しにくい例なんですよ。(←解析解ってなんやねん)
この場合、ホンマに受信側は嫌な奴ですよ。いやほんとに嫌な奴ですか?

受け手はこの一定時間だけ、送り手の要求がよくわかっちゃ
います。喜んでほしいわけです。だから受け手は喜んでみせる。
普通、それほどありがたくなければ、喜んでみせたりしないはず。
では、なんで受け手は喜んでみせるのか。

受け手とか送り手とかめんどうやから受け手=Aさん、送り手=Bさん、にするわ。

このような状況は必ず条件があるわ。
「AさんがBさんに何かしら目論んでいる場合」にしか
当てはまらないはず。目論みの中身は例えば、

Aさんがそうすことは仕事だったりとかー
AさんはBさんと衝突したくなかったりとかー

あ、二つしか思いつかない。

つまりAさんとBさんが対等ではない場合に起こりうる。

むむ。なにか見えそうで見えない。続きを書くかも。




Comment


chargeup
えー、私ありがたくないと言いませんよ。
「それ要りません。でもありがとう」
なら言うかな。本当に嫌だったらそれも言わない。
ブログのコメント欄では私もさすがに気づかうようになりましたが、
気づかうということは気づかうだけのメリットがあるからです。それが目論みか。
2007/01/11 Thu 22:04


みつくる
そうか。「ありがとう」は行為に対してと、気持ちに対してと二種類がありますね。

これは理性と感情の違い?んん?んん?

「対等でない場合に起こりうる」
ちょっと言い過ぎました。
「衝突したくない(気づかい)」が対等な場合はありました。衝突すると自分も大きな被害を受ける場合です。歯車がかみ合わないのに無理した感じ?

2007/01/11 Thu 22:19


みつくる
目論みとかわざと言葉を悪くしてみちゃいました(笑)
なんか例えが非現実的ですね。
2007/01/11 Thu 22:36


chargeup
仕方ない、第3者の歯車登場を待つか。(誰?)
2007/01/11 Thu 22:55


みつくる
待ちましょう。
2007/01/12 Fri 03:11


きーさん
第三の歯車が登場すると良いですね^^

私的見解を、最後に書いてあります。
波長03の記事です。
http://blogs.yahoo.co.jp/mauijimtojps/26846165.html
2007/01/12 Fri 12:58


みつくる
ども。見に行きます。
2007/01/12 Fri 19:29


わたりとり
>優しさカウンター。
>「ありがとう」は行為に対してと、気持ちに対してと二種類
>AさんがBさんに何かしら目論んでいる場合

・・・そして、きーさんの記事・・・

なんか、でっかいネタの気配がするのですが、アタマがまとまらない・・・(汗)
2007/01/13 Sat 16:23


みつくる
きーさんの記事を読んで、
ナイジェルさんのまとめ記事を読みながら考えています。
「あなた」と「わたし」の間にかなり何かありそうです。
2007/01/13 Sat 23:15

posted by 海風 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 異文化byみつくる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月28日

2007.01.03 論法とか方法論とか

よくわからなくなってきたので整理など。

演繹法
前提さえ正しければ、結果は必ず正しい。
争点になるのは前提条件が適切か否か。

何かと説得力があるように見える方法。
この方法はだましやすく、だまされやすい。

帰納法
「同じような状況」・「結果が同じ事例」を多くあげて法則化する
ことで次に出てくる同じような事象に対しても法則を適用させて結論を出す。

「歴史的に考えると〜」なんて言ってるのは帰納法に入る。
結論を出すと言っても「その結論になる確率が高いよ〜」と言っているにすぎない。結論に納得いかない場合は全く相手に伝わらない。魚のあたまになりやすい。

演繹・帰納がわかりやすい??サイト

認識論-wikipedia

ちょっと抜粋
人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。
人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。
ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。
人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。


正しくってなんやと突っ込みたいのをぐっとこらえて。
サイト下方には〜主義っていっぱいあるけど、僕は整合説内在主義文脈主義です。

背理法
「ある論の逆を仮定すると矛盾するよ〜」と言えば、元の論が正しいことを証明できるよ。という便利な論法。
前提として逆(否定)の論理がきっちり対応できていることが必要です。

ちょっと難しいですね。例えが思い浮かばない。


反証可能性・反証主義
理解されにくい論ですね。すんごい説明が多い。
ついてはいけるけど説明はできない。ピックアップしたいとこはちと抜粋。

(3)「反証主義は内心の自由や信仰の自由を制限しようとしている」
このような見解は、時として、反証主義を唱える側にも見られる。
本来なら、反証主義は仮説の科学性および信頼性を判定するだけであり、非科学的仮説や信頼性に乏しい仮説を糾弾・排除する機能を持たない。本来なら、反証主義は相手方が信じている仮説の信頼性を問題にするのであり、相手方が何を信じるべきかを問題にするのではない。
(注)もっとも、本来ならばそうあるべきにもかかわらず、反証主義を運用する「人間」の人格に問題があり、感情的であったり、他者への思いやりを欠いていたりすることで、結果として反証主義をふりかざして他者の自由な態度決定を妨害する例は多々見られる。これは単に科学や言葉の問題では済まず、人権問題と関わることとなる。


宗教と科学の話を考えにいれないと難しそう。
パラドックスもたくさんありそうですわ。




Comment


chargeup

あけましておめでとうございます。
難しそう。名前は知っているけど使いこなせそうにないような。
でも議論するなら知っておかないとです。
2007/01/04 Thu 22:52 URL


みつくる

あども。あけましておめでとうございます。
難しいですよね。読んでるだけでつかれちまいます。
2007/01/05 Fri 14:45 URL


わたりとり

あっ、記事が更新されてる(すんません、今RSS登録しました。これでもう大丈夫)

演繹は危険ですね〜あきらかに前提が間違ったまま突っ走っている記事を見ると温厚な私でも突っ込みたくなります。
「反証可能性・反証主義」の項、おもしろいです。記事のネタになりそう(異文化交流議論風に書けるかな・・・ちょっと時間かかりそうです)。
2007/01/07 Sun 02:33 URL


みつくる

わたりとりさん
いえいえ〜。リンクも張らないし、マイペースなもんで(笑)

誤った反証主義者はきっと信仰や宗教についてよく知らないんじゃないかな〜、と考えてます。信仰は誰にでもあって何も宗教団体だけに限ったことではないのですが日本はアニミズムが強いせいか一見どこに信仰があるかわからない人が多いです。わからないというより隠してるのでしょうけど。
2007/01/07 Sun 11:52 URL


chargeup

わたりとりさん
さては私がトンコさんとこに書いたコメントを見て来ましたわね。

みつくるさん
ご紹介のサイトを一通り見たり、用語をググってみたりしましたが、色んな実例に触れて
「あ、演繹法で思考している」
「ここは帰納法で考えてみよう」
などと脳内で使ってしまうのが一番身につきそうです。それも「名付け」(一歩間違えば偏見?)になるのですが。
2007/01/07 Sun 17:21 URL


みつくる

chargeupさん

名付けですよねぇ。
僕はけっこう演繹法使ってます(笑)
自分の結論の出し方に偏りを感じる
今日この頃。
2007/01/07 Sun 19:31 URL
posted by 海風 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 異文化byみつくる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006.12.27 優しさは形がない。

優しさとボランティア

優しさの形骸化。
何事も形だけを重視すると形骸化を招きますね。
送信側が「相手に優しくした」と言いきるのは
やっぱ難しいみたい。受信側の要求がわかりや
すければ簡単かもしれませんが。
仕草だけしかないとちいと読みにくいねぇ。

以前書いていた日記を持ち出しました。
やり過ぎはいかんよというやつ。
ドッグウィルという映画でこういう主旨のことが述べられます。
是非ご覧になって。
「あなたって優しい人ね」
という言葉の裏に何があるか。

人殺しも被害者だ。
環境がそうさせる。
だから殺人者を許す。
というような考えは傲慢だ。
許してしまえば、義務を果たす機会を失わせる。


義務かぁ。

優しくすることと傲慢なことは紙一重みたいです。
バカと天才は紙一重みたいなものですか。

小学生の時、道徳の時間に車いすの人がトイレに行く話を読みました。
主人公の生徒が手伝ってあげようとするわけですが、車いすを押して
いた親に「同情で手伝ってもらいたくありません。」
と言うわけです。その時の僕の感想は、
「おいおい、じゃあどうすりゃいんじゃ。」
でした。優しくされるのも惨めだねぇと?

結局は受け手が優しいなぁと思えば優しさ
なのかと思っちゃうわけです。
Bさんが
(あー、Aさんが取り組んでいるaの件が進まないと自分も困るな)
と考えてAさんを助けたら
「ありがとう。」
「おまえのためじゃない。」
という会話がかっこつけじゃなく成立して、Aさんは勝手にBさんを優しいなぁと思うわけです。でも「aの件は一番のヤマだから手伝うよう」と周知されてた場合はBさんの行為は優しいどころか半ば義務。

ある一定数の人々が「この行為は優しい」と考えると制度化されそうです。バリアフリー整備で税金が使われても基本的に文句はないでしょうね。電車なんかで優先席があります。「優先席」なので基本的には誰がすわってもかまわないはずだけど普通の人が座ると冷たい視線を浴びるわけです。優先されるべき人が来たら変わってあげればいいだけなのに。規範化してるなぁと。

やっぱりまぁ、優しくするときは相手の情報をよく知ることが一番初めにやることなんですかねぇ。飢餓で死にそうな人達がいる国に勉強ができるようにと紙と鉛筆を送るのはボランティアではないんです。いらねーよ紙と鉛筆なんて。おまえが持ってきたその弁当をよこせやと言われるのがオチですね。

ここ三日ぐらい考えてましたがやっぱりまとめが苦手。
ちなみにバリアフリーに反対しているわけではありませんので。




Comment


chargeup

道徳の車いすの人の話は非常に難しいですね。先生はどういう方向に誘導したのでしょう。向こうが望んでいないのだから
「すみませんでした」
と引っこむのがいいのでしょうけれど、常にそういう場面では無視するのがいいとも限りませんし、日本だと最初は遠慮するのが礼儀というルールもあるのでさらに難しいです。
2006/12/27 Wed 22:48 URL


みつくる

確か結論はなかったと思います。
「みんなが感じた通りで正解はいっぱいある」とかどうとか。
いつもながらのまとめ方です。

>日本だと最初は遠慮するのが
外国の方には難しいルールらしいですね。
「二回ぐらい断るからかまわず渡して。」と教えると三回断ったら渡さなくてもよいと解釈してタクシー代金を払わなかった、
なんてエピソードがあるそうです(笑)
僕も難しいと感じます。
2006/12/27 Wed 23:44 URL


わたりとり

こんにちは。
優しさの形骸化、確かにありますね。
・・・けれど、形骸化していたとしても、その「カタチ」が何かの最後の一線を守っているかもしれない、その「最後の一線」で救われている人も、もしかしたらいるのかもしれない。・・・なんてふうにも考えたり。

受け手が満足したものこそが「優しさ」である、という考え方はよくわかる。私も基本スタンスはそっちなのです。
が、こうも思う。それって「受け手のウォンツ(欲求)・ニーズ(需要)を満たさなければ価値は無い」という考え方なのですが、この思想はCS(顧客満足)の基本原理なのです。
企業は対価を得て商品やサービスを提供しているから、「受け手の満足」を前提にして当たり前だが、人の優しさの場合はどうなんだろう、と・・・なんか違うなぁ、同列のものではないよなぁ、とも思ってしまうのです・・・本当に、形がないものの良否を決めることは、難しいですね。

すみません、本職と絡めて熱く語ってしまいました^^;
トラックバックありがとうございます。それから今さらですが、みつくるさん、私の消えたい発言のとき、あたたかい言葉をかけてくださって、ありがとうございます。
2006/12/28 Thu 16:27 URL


みつくる

本職。。。。。
営業かマーケティングでしょうか??^^;
いえ余計な詮索はよします(笑)

>私の消えたい発言のとき
あ、いえいえどういたしまして。

異文化交流の話がちょっとみないうちに進んでる進んでる。今から見にいきます。
2007/01/02 Tue 00:01 URL


きーさん

明けましておめでとうございます^^
と、年明け前の記事にコメント書くのも微妙な気分です。

私は人に優しいと言われることが多いです。
そんな時の多くは、自己犠牲を伴ったりします。
時間であったり、物であったりします。
そんな中で、私の何気ない一言で元気付けられたと言ってくれる人もいます。
どちらも優しくしてあげようと思って行動すると、迷惑に思われることがあります。
優しさを言葉に出したり、態度で出してしまえばエゴだと感じられるのかもしれません。
2007/01/10 Wed 08:18 URL


みつくる

あけましておめでとうございます。

「自己犠牲を伴っている」ことを前提に
すると受け手がありがたくなくてもありがとうと言うのは優しさだと。昨日ぐらいに気づきました(笑)優しさって難しい。
2007/01/10 Wed 19:02 URL
posted by 海風 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 異文化byみつくる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月26日

2006.12.14 異文化まとめ図入り

まとめましたわ。
うみかぜさん
きーさん
の考察をみて少し考えました。
mitsu1.gif
図1

式はうみかぜさんとほぼ同じノーマライズしました。

縦軸の定義が少しちゃうかな。
+積極的に意志疎通したい。
−あんまり意志疎通したくない。

<感情+&理性+>
相性良くない?と言われる
<感情+&理性0>
気持ちはわかるが実際には不可能
<感情+&理性−>
泣いて馬謖を斬る
<感情0&理性+>
できることはできるけどおれはパス
<感情−&理性+>
ライバル
<感情−&理性−>
相性悪いね。

mitsu2.gif

図2 異文化理解と関係性
青い線は図1の縦軸が影響する。
図の波はy=3sin(2x)
式は特に意味なし。でもなんとなくこの曲線具合をうまく
きめたい気もする。
<文化理解度>
文化の知識を得れば得るほどいろいろな価値観の相違を実感。
故に協調しやすくor攻撃しやすくなっていく。
<価値観の線>
知りすぎてしんどくなるかどうかの境目。うまくまとまっってません。

縦軸は関係性の定義。これもまだなにかねまとまってない。
軽蔑ってなんか違うけど言葉が浮かばない。

あー疲れた。





Comment


うみかぜ

感情と理性の組み合せの解説が分かりやすくていいですね。
文化理解度の線は時間軸と見なすこともできるし。
何よりsin関数ということで、時々出てくるループ説と関連がありそうです。
2006/12/14 Thu 19:19 URL



みつくる

どもども。うみかぜさんにそう言っていただけるとうれしいです。
図1も見よう見まねで作ってみました。人格タイプ別に式を定義できるとおもしろいかなと。
sin関数は悩み中です。波でいいのかところにひっかかっています。あと三角関数だと波形が限定されるのでどうしようかと。
いかん。式の話ばっかりや(笑)
2006/12/14 Thu 19:57 URL



みつくる
>あと三角関数だと波形が限定されるのでどうしようかと。

全然そんなことないですね。
自分につっこみ。そっかそっか。xsin(zy)とかにするともんだいなくカーブはえがけますね。
2006/12/14 Thu 20:17 URL



chargeup

知りすぎ線というのが深いです。
2006/12/14 Thu 21:53 URL



みつくる

きーさんがおっしゃってた「触れられるといやなこと」等の話から思いつきました。
むふふ。
2006/12/14 Thu 23:00 URL



きーさん

協調域・攻撃域の境界線ですが、直線というイメージが僕にはありませんね
横向きの二次曲線的な微妙な曲線・・・ん〜難しい^^;
URLに新記事のアドレス入れておきました^^
2006/12/16 Sat 09:46 URL



きーさん

なんか、入れ間違えたようです。
済みません・・・^^;
2006/12/16 Sat 09:48 URL



みつくる

直線のイメージ、実は僕もないです(笑)
二次曲線ですかー。なんとなくこれも考え方によるなーと思ったりします。
2006/12/17 Sun 13:16 URL


posted by 海風 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 異文化byみつくる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月25日

2006.12.08 関係

遊んでみる。頭の体操

ゼロ地点 ちゃあじ子さん
異文化接触のn段階 海風さん

言葉をお借りします。

異文化接触の3段階
  第1段階 : 驚き、感動、恐怖、怒り・・・
          ↓    ↓    ↓
  第2段階 : 無視 ⇔ 交流 ⇔ 敵対 ⇔ 無視
          ↓↑   ↓↑    ↓↑
  第3段階 : 無関心、調和、戦い


↓↑は知識・経験の量

第1段階は感情。生理的。
「えぇ〜?!何これ変じゃない?」
「うおおお!!すんげーこれ!」

第2段階は若干感情が整理され理性が絡む。
理性が感情に作用し不安を生み、

敵対することにストップをかける場合
交流することにストップをかける場合
交流も敵対もしない=無視
敵対することを促進する場合
交流することを促進する場合
(このへんはわたりどりさんの内容)

第3段階は整理が難しいですね。
調和→融合→一つの文化が形成される。
戦い→排除→一つの文化に。(リアル世界なら一大事)
無関心→変化なし→忘却することで第4段階へ入る。

第4段階
静寂=異文化を認知していない状態


んでパラメータ
感情=?
理性=利害・制度・規範

自分なりに整理。嗚呼理系。





Comment


chargeup

おお、こちらだったのですね。
融合も排除も1つの文化になることには変わりない、ということですか。
感情は「好き嫌い」ということになるのかな、とちょっと考えました。
2006/12/08 Fri 23:00 URL



きーさん

第三段階に協調・協力で異文化としての共存なんてのも考えられるんじゃないかと。
ん、何か先が少し広がった気がします。
ついでに、僕は根っからの理系^^;
文系の才能も持ちたかった・・・。。。
2006/12/08 Fri 23:20 URL



みつくる

chargeupさん
好き嫌いかもしれないですね。
自分の言葉でまとめようとすると
やっぱり大変です。

きーさん
そう言われれば共存もありますね。
理系の大学に行ったのに教養科目のほうが
成績がよかったというオチです(笑)
2006/12/09 Sat 20:39 URL



海風

あ、なんかシンプルに整理されてる。
読んで思いました。第3段階で異文化を取り込んでしまえば、異文化を異文化として認知しなくなるので、これも第4段階と言えるのではないでしょうか。

> パラメータ
第2段階における感情をベクトルの向き、理性をベクトルの大きさとしたらいかがでしょう。
そして進んだ先が、第3段階の分岐先。
(とはいえ、理性によって方向を決めるということもあるから、単純に切り分け出来ないですね・・・)
2006/12/10 Sun 00:02 URL



みつくる

海風さん
ども。
あ、確かに第4段階ですね。集合がおおきくなって。

感情が方向を決める。なーる。
そうですね。感情が始まりでないときも
ありますね。条件を満たすと理性が方向付けする時があると。ふーむ。
2006/12/10 Sun 00:35 URL



TrackBack

他者との4つの位置関係
posted by 海風 at 16:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 異文化byみつくる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月12日

ブログで議論する場合の匿名性問題について

 黒木ルールも重要だけど、ブログを使って議論を行う場合、議論する相手が、「世間」を持っているかどうかってのが重要だと思う。

 自分だと、「海風」ってハンドルで、Yahoo!blogをやっていて、そこで知り合った人たちがいるわけ。で、僕が「海風」で活動を行っている限り、その人達に僕の行動を見られている限り、恥ずかしい行為は出来ないわけ。
 「え、海風ってこんなやつだったの・・・」
 って視線が怖い。

 だからnetでの揉め事に首突っ込むときも、なるべく見られて恥ずかしい行動は取らないようにしたりする。うまく行ってるかどうかは別として。ときどき諌めてくれる人がいるのでありがたい。

 その世間が窮屈になるときがある。以前、その窮屈さから解放されようと、別名で別ブログを立ち上げて、ま、「世間」の無いところでたがの外れた、馬鹿なことを抜かしたりしていたわけよ。

 で

 「世間」を持たない自分の記事の馬鹿さ加減に嫌気が差してそのブログは閉鎖しました。

 さて

 ブログで特定の議論をするためだけに立ち上げられたブログというのも存在します。そこに世間は存在しません。
 だからといって一概にこれにNO!をつきつけることは出来ません。しかし、その無世間ブログの主の言動、行動が荒っぽかったり、嫌がらせ的なものだったりする場合、相手にしたいとは思いません。

 一方、こういうこともあります。

 議論を行っているブログ主、XとYが両方とも世間を持っていて、それまで、お互いそこで何度も激しいやり取りを行っている。当然両者の世間を構成する人たちもそれを知っている。
 ここで、ブログA(世間有り)を持っているXが突然、ブログB(世間無し)を立ち上げ、
 「おい、これからはこっちで議論しようぜ」
 と言い出すとどうなるか。
 しかも、XはブログBの存在を、ブログAの世間の人達には知らせずにいたとしたら。

 もはやXとは議論など行えません。ブログBはいつでも捨てられる場所であり、世間という担保が無いからです。
 夜逃げ(ブログBを閉鎖)の準備を既に整えている相手(X)に、金を貸す(真剣に意見をぶつける)のは馬鹿げています。

 XがブログBでどれだけ不誠実な議論をYと行っても、ブログBを閉鎖してしまえば、ブログAの世間にはばれません。(ばらす方法はいくらでもあるのはとりあえず置いとく。)
 ブログBを閉鎖した後、YがブログAに出かけていってXに文句を言っても、Xの世間は、「Yがなんか訳分からんいちゃもんつけてるぞ」って話になる。Xの世間が事実を知ろうとすると、いろいろと面倒な調査活動をしなければならなくなる。
 そこまで面倒な作業をする人は少ないし、Yが自分の正当性を主張するにはその面倒な作業を行わなければならない。
 労力面でYが明らかに不利になるわけで、ブログBで議論をしようと仕掛けた瞬間、XはYと議論する資格を失うのである。Xはもはや、臆病者の烙印を押され、笑いものにされるだけ。

 ま、Xみたいな行動ってのは普通の人は取らないのだか、最近そういう愚かな行為をやった人を見たもので。
 結局、そのブログBは今なお、炎上しておりますが。
posted by 海風 at 23:18| Comment(2) | TrackBack(0) | net | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?』について

 トンコさんの書いた、■「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?に関する私の考えは、「多重ハンドルは、この場合問題ない。」である。その理由は、一記事に対し、一ハンドルで書き込んでいるからである。

 以下、トンコさんの指摘した書き込み者が阿風氏であるとの前提で私の考えの詳細を記す。

 また、一記事内における議論そのものは“阿風 対 OYAJI”であり、“n人の阿風 対 OYAJI”とはなっていない。より正確に言うならば、“「阿風論」対「OYAJI論」”の対決の形を取っており、議論の一貫性は保たれている。

 一記事に対し、複数のハンドルによる書き込みがはらむ問題点は、自分の主張が多数意見であるとの偽装に集約されるのではないだろうか。
 同様の意見が多数を占めると、反論が行いにくくなる。そこに「空気」が形成されるからである。
 ただ、「OYAJI問題」というくくりで見た場合、たとえ別記事であったとしても、別人として「阿風論」を重ねることは、やはり多数意見の偽装の側面があり、卑怯な戦略であると言える。

 とはいえ、相手はあのOYAJIである。一旦相手を「敵」と見なした瞬間、「敵」をやりこめる事以外何も考えられなくなり、「敵」を相手にしている間は、自分の過去の言動すらきれいさっぱり忘れてしまう、あのOYAJIなのである。(なんて事を書くと、「何一つ忘れてなどいません。」とコメントを書き込みに来るかもしれない、あのOYAJIなのである。←面倒なんで先に言っとく。-w-)
 このような個性を持つ人間に対し、別人として意見するのは、有効なコミュニケーション手段の一つではないか、とも思う。

追記
posted by 海風 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | net | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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