2007年01月03日

社会の脆弱さが障害をつくる。

 私の卒業した大学では、「総合的な学習」みたいなもので、他の学部の先生が、他学部の生徒向けの授業を行います。そこで私は、医学部の授業を選択しました。そのとき強く印象に残ったことがあります。それは、「精神病は、社会の脆弱さを移す鏡である」ということです。
 その考え方は、数冊の精神病関連の本を読んでいくうちに私の中で強くなりました。

 精神病、あるいは精神障碍の存在は、社会の許容度によって変わります。例えば、統合失調症は、急性の症状を乗り越え、ゆっくりと社会復帰できるまでに回復します。そこでは、どこまでが病気で、どこからは病気でないのか、線引きすることは困難です。

 しかし、一つ明らかなのは、社会の許容度が小さいと、なかなか「病気」と呼ばれる状態から抜け出せない(社会復帰が困難になる)ということです。
 同じ回復状態であっても、その人の所属する社会の許容度が大きければ、その人ができる範囲が小さくても、職場に受け入れられ、めでたく社会復帰となります。
 しかし、許容度が小さい場合、より多くの事柄がこなせるようにならない限り、社会復帰が認められません。

 患者本人の能力は同じでも、社会の許容度によって、復帰の可否が左右されてしまう。
 つまり、社会復帰できない回復中の患者の存在は、本人の問題ではなく、社会そのものの病理である、といえるのです。


 極端な例を挙げると、未開の社会では、統合失調症などになった人は、急性期を過ぎると、「シャーマン」として社会復帰します。
 現在の日本の社会は、精神障害がある聞いただけで、周りの人は、どう付き合ったら良いのか分からず、パニック状態になります。偏見、という言葉を使うこともできますが、正確には、どうしたらいいのか分からないだけ。

 そして多くの大人は、そこから逃げ出してしまいます。臆病な大人たち。これが日本の、「精神病に対する許容度、耐性」なのです。電気もガスも使わない民族よりも、脆弱な社会であるといえます。
 その点では、むしろ小学生の方が、耐性は強い。今ではどうか知りませんが、「特殊学級」というのがあって、通常の勉強は別の教室で行いますが、体育の授業は、普通学級と一緒に行います。そこでは、障碍のある子は、走る距離を短くしたり、ゲームのルールを変えたりしてスポーツを楽しみます。
 それが、高等学校になるに従って、それら当たり前にいたはずの障碍者は隔離され、私達はどう接していけばいいのか、どんどん分からなくなってきています。
 
 精神病に関して言えば、まず「知る」こと。これが大事です。

 うつ病については、多少認知が進んできました。では、統合失調症については?適応障碍は?あなたはどれだけ知っていますか?

 知らないがために、自分がそうなったとき、恐怖し、パニックになり、現実から逃げ出そうとしたりします。身近な人がそうなったとき、適切な対応が取れなくなります。
 知れば分かること。それは、恐がらなくていいということ。そして、相手に合わせて受け入れればよいということ。そして、今、元気な人は、この脆弱な世の中を変えていかなくてはいけないということ。
 
 この日本では、50人に1人がうつ病になり、100人に1人が統合失調症になる。そして、それよりはるかに多くの人が、職場などでのストレスにより、体調を崩す。
 この日本では、精神系の疾患に対してあまりにも人々の知識が乏しいために、症状が重篤化するまで、精神科の扉を叩くことはない。その扉をたたくとき、人々はまるで死地に向かうかのごとく悲壮な覚悟を決めていたりする。
 
 それは「無知」から来る悲劇。
 
 この日本は、精神系の疾患を克服した人を、受け入れる術を知らない。ただ、恐怖し、硬直するばかり。
 
 それは「無知」から来る喜劇。
 
 知ればいいだけ。ゆっくりやればいいだけ。
 

 本当の幸せは、"マネーの虎"には訪れない。
 "足る"を知り、"ゆっくり"を許容できる人達にのみ、やってくる。

 本当はみんな、気付き始めている。「お金が全て」では、幸せになれないと。
 まずは、「知ること」
 そこから 始まる。
 
 


 知らない人に、読んで欲しい。
  「救急精神病棟」(野村進著、講談社)  
 

 
 

 
 こんにちは。「ゆっくり…」というところが重要ですね。誰が言ったのかは知りませんが「ゆっくり(静かに)行く者は、遠くまで行く」というのです。
Posted by さんちゃご  2005/6/6(月) 午前 0:16
 

 
 救命救急病院に精神科の宿直医を置いたことが話題になったのは昨年の秋くらいだったと思われますが現場やあらゆる社会状況で切迫したニーズ、ウオンツも、それから話題にならないことを思えばあまりの数の多さに対応し切れてないからメディアに映し出せない状況現実があったのではないかと憂えているのは私だけでしょうか
Posted by ちよ  2005/6/7(火) 午後 10:30
 

 
posted by 海風 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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