2007年01月04日

死んだ後と、私と、地球と、神様と。

 私は、かなり前に(たしか、高校生くらいのときだったかな?忘れた。)、神様と絶交したことがあります。理由は、もう定かではありません。
 とはいえ、私の育った環境は、かなりあの世に近いところだったので、それはそれは、大変なことでした。(なんたって、母方の姉妹が集まると、幽霊話が当たり前に出てくる。霊魂も神様も、いて当然、って雰囲気。骨のずいまで、そういう思考が染み付いてるわけですよ。^^:)

 それまで、心配事とかあると、神様にお祈り(てゆーか、お願い、ですね)してたのに、絶交した以上、できません。これが意外と、しんどいのです。

 つくづく、人間は、なにか大きなものに頼らないと、安心して生きていけないのだなぁ。と感じました。

 で、そこで「神様ごめんなさい」と・・・ならなかった。強情っ張りなんだな。

 その当時すでに、両親から良い遺伝子をいただいていたおかげで、本の虫、科学好きになっていた私は、科学の視点から世界を捉えなおそうと、一生懸命考えたわけです。

 今回は、その話をちょこっと(でも長文・・・)書きたいと思います。


 人は死んだら、どこへ行くのか・・・。

 科学、という視点から取り扱うので、とりあえず魂はおいときます。物質の行方について。

 簡単ですね。燃やされて、水と二酸化炭素、そして骨と灰になります。骨はお墓でほぼ永久的に外界から隔離されますが、水と二酸化炭素は、この地球上を巡ります。
 そしていつかまた、植物に取り込まれ、他の動物や人間に食べられたり、かれてまた土に戻ったり。
 そしてまた誰かの体内で細胞になり、命の環に入ったり、出たり・・・。

 思えば、生きている自分も、その物質はどんどん入れ替わる。
 植物や動物を食べる。
 他の命をどんどん取り込んで、自分自身の体にする。
 10年も前の自分と、今の自分とでは、姿かたちはほとんど同一だけれども、中にある物質は、ほとんどすべて、別の原子に入れ替わっている。

 輪廻転生、というのは、別に死後に限った話ではなく、生きている今でも、常に行われていること。
・・・少なくとも物質的には・・・ね。

 で、こうして見ると、自分自身、という物質と、自分の回りにある物質の境目は、どこにも無いわけです。

 そうして考えたとき、自分と、この星は、一つなんだ。と気付きました。実感した、という方が適切かもしれません。

 自分は、「地球」という、大きなものの一部なのだ。と。

 こうして、とりあえず、私にとっての(大きなもの)は、「神様」から「地球」にバトンタッチです。

 神様を信じないことにして、(大きなもの)から切り離された孤独感は、こうして埋められました。


 ところで、このままでは、物質の輪廻転生はともかく、意識や、魂の存在が空っぽのままです。

 今の科学で言うと、意識、は、コンピュータのプログラムと同じようなもの。「脳」というコンピュータに、外から何らかの刺激が“入力”されると、脳で特定の手順で処理されて(その手順は、過去の“経験”により少しずつ変化していく)、出力される。
 その出力が出される過程を、私たちは感情や意識、という形で認識しているに過ぎない。
 魂と言うのは、この作用の結果、認識されるものに過ぎない。
 ゆえに、魂に実体はない。

 なんて、これじゃあまりにも面白くない。そもそも、肝心の自分の脳・意識が、そういう解釈を、「不快」と感じる。
 次は、“魂”について、深く突っ込んでみます。「生まれ変わりは無くても、魂は永遠に続く。」という話。




 2005年11月5日に上げた記事。
 この話と関連して、こんな詩をかいていたりします。
 使い古された感もある、「人はどこから来て、どこへ行くのか。」という言葉。とりあえず、最初の問いに対しては、「人は星から来た。」という答えが個人的にはしっくり来ます。「僕らは、この宇宙で最初に生まれた恒星たちの忘れ形見なのさ。」ってね。
 徹底的に科学的な話なのに、こういう言い回しをするとなんかロマンチックな感じがするのはなぜだろう(笑)。
 やっぱ、「星の世界」≒「天国」のイメージがあるせいだろうか。そういえば、「星になったチロ」って本があったなぁ。

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posted by 海風 at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 価値/世界観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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