2007年02月12日

『「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?』について

 トンコさんの書いた、■「別の通りすがり」は阿風氏ではないか?に関する私の考えは、「多重ハンドルは、この場合問題ない。」である。その理由は、一記事に対し、一ハンドルで書き込んでいるからである。

 以下、トンコさんの指摘した書き込み者が阿風氏であるとの前提で私の考えの詳細を記す。

 また、一記事内における議論そのものは“阿風 対 OYAJI”であり、“n人の阿風 対 OYAJI”とはなっていない。より正確に言うならば、“「阿風論」対「OYAJI論」”の対決の形を取っており、議論の一貫性は保たれている。

 一記事に対し、複数のハンドルによる書き込みがはらむ問題点は、自分の主張が多数意見であるとの偽装に集約されるのではないだろうか。
 同様の意見が多数を占めると、反論が行いにくくなる。そこに「空気」が形成されるからである。
 ただ、「OYAJI問題」というくくりで見た場合、たとえ別記事であったとしても、別人として「阿風論」を重ねることは、やはり多数意見の偽装の側面があり、卑怯な戦略であると言える。

 とはいえ、相手はあのOYAJIである。一旦相手を「敵」と見なした瞬間、「敵」をやりこめる事以外何も考えられなくなり、「敵」を相手にしている間は、自分の過去の言動すらきれいさっぱり忘れてしまう、あのOYAJIなのである。(なんて事を書くと、「何一つ忘れてなどいません。」とコメントを書き込みに来るかもしれない、あのOYAJIなのである。←面倒なんで先に言っとく。-w-)
 このような個性を持つ人間に対し、別人として意見するのは、有効なコミュニケーション手段の一つではないか、とも思う。

07'2/13 文末の一文を消しました。
posted by 海風 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | net | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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